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ジョン・ハガー(John Hugger、1977年4月20日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ジョージア州アトランタ出身。ジョニー・スタンボリー(Johnny Stamboli)、ジョニー・ザ・ブル(Johnny The Bull)などのリングネームで知られる。
体重180kgあるリキシをリフトアップするほどの怪力の持ち主。 目次 [非表示] 1 来歴 2 リングネーム 3 得意技 4 獲得タイトル 5 外部リンク 来歴 [編集] WCWのプロレスラー養成所であるWCWパワープラント出身で、ポール・オーンドーフによってレスラーとしての基礎トレーニングを受けた。 1999年、WCWのリングにてデビュー。WCWではビッグ・ヴィトーと共にイタリア系アメリカ人のタッグチーム「ママルークス」を結成、ジョニー・ザ・ブルのリングネームで活動した。その後2000年には、チャック・パルンボやショーン・オヘアらと共にNBT(ナチュラル・ボーン・スリラーズ)を結成して活躍。 WCW崩壊後の2001年にWWE(当時WWF)と契約。しかし、アライアンスのメンバーには選ばれず、同じくWCWから契約を交わした数人の若手選手(カズ・ハヤシ、ジェイミー・ノーブルなど)と共に、WWEのファーム団体HWAで再修行することになった。 2002年より1軍登録され、6月30日にジョニー・スタンボリーのリングネームでTVマッチにデビュー。以降はスマックダウン所属となり、ナンジオ、チャック・パルンボら同じイタリア系選手と共に、ヒール・ユニットのF.B.I.(フル・ブラッデッド・イタリアンズ、Full Blooded Italians)を結成。ジ・アンダーテイカーらと抗争する。この当時、自分の体格をはるかに上回るリキシをリフトアップするなどして観客の度肝を抜いた。 2004年11月4日にWWEを解雇され、その後は全日本プロレスにマスクマン「GREAT MUTA」として登場。ラブマシンズの一員として全日本プロレス本体と抗争する。本家グレート・ムタ対GREAT MUTAという異色対決が行われるも敗退。その後ラブマシンズから戦力外通告を受けたことにより、WWE時代のリングネームジョニー "ザ・ブル" スタンボリーとして全日本参戦。TARUと結託し、ヒール・ユニットのVOODOO-MURDERSを結成、初期メンバーとして活動。旧友チャック・パルンボとタッグを組むことも多かった。 全日本を離れてからは、メキシコのCMLLを中心に数々の団体で活動。その後IZWでレッドラムという怪奇派レスラーに変身した。 2007年7月31日収録のWWEスマックダウンにて、リングネーム不詳としてダーク・マッチに出場し、チャボ・ゲレロを破っている。なお、試合はレッドラムの姿で戦った。その後WWEから再雇用を持ちかけられたが、本人が断っている。 その後はレリックとしてTNAに所属していたが、2008年6月末にTNAとの契約を解消した。 リングネーム [編集] ハガーが用いたことがあるリングネーム レリック(Rellik) レッドラム(Redrum) ジョニー・ザ・ブル(Johnny The Bull) ジョニー・スタンボリー(Johnny Stamboli) ジョニー "ザ・ブル" スタンボリー(Johnny "The Bull" Stamboli) GREAT MUTA(全日本プロレス版)※2004年の世界最強タッグ決定リーグ戦からグレート・ムタ戦までの間マスクマンとして 得意技 [編集] ダイビング・レッグドロップ スイングDDT フォーゲット・アバウト・イット キス・オブ・デス(シシリアン・スライス) - チャック・パルンボとの合体技(パルンボのバックブリーカー+スタンボリーのセカンドロープからのダイビング・レッグドロップ) 獲得タイトル [編集] WWE WWEハードコア王座 : 3回 WCW WCW世界タッグ王座 : 2回(w / ビッグ・ヴィトー) WCWハードコア王座 : 1回 HWA HWAヘビー級王座 : 2回 PR |
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