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五味 隆典(ごみ たかのり、男性、1978年9月22日 - )は、日本の総合格闘家。神奈川県愛甲郡愛川町出身。久我山ラスカルジム所属。元PRIDEライト級王者。
KO、一本での勝利(本人曰く『スカ勝ち』)にこだわるアグレッシブな試合が持ち味。 2006年7月22日に東京都杉並区久我山に自身のジム「久我山ラスカルジム」を開き、以降はこのジム所属扱いとなっている。 目次 [非表示] 1 来歴 1.1 UFC 2 戦績 2.1 総合格闘技 2.2 グラップリング 3 獲得タイトル 4 人物 5 Abaddon 6 スカ勝ち 7 脚注 8 関連項目 9 外部リンク 来歴 [編集] 16歳の時、木口道場レスリング教室に入門。木口宣昭会長のもとレスリングを学び、総合格闘技を始めた。高校を中退し、五味に警察官になって欲しかった父親との仲が悪くなり、縁を切られた。 1998年11月、修斗にてプロデビュー、以降連勝を続けた。2001年8月26日にはウェルター級王座決定戦を三島☆ド根性ノ助と行う予定であったが、三島の左脇腹の負傷により試合は中止となった[1]。12月16日には佐藤ルミナに勝利し第5代修斗ウェルター級王座を獲得した。 2002年はレオナルド・サントス、クリス・ブレナンに判定勝ちし、12月14日には前年に中止となった三島戦を迎える。2Rにフックでダウンを奪い、その後タックルにきた三島に打撃を浴びせTKO勝ちを収め、初防衛に成功した。 2003年8月10日にヨアキム・ハンセンに敗れ、デビュー以来の連勝は13でストップ、ウェルター級王座からも陥落した。10月10日、ハワイで開催されたRumble on the Rock 4でBJペンと対戦。何度もバックマウントを取られパンチを浴び、最後はチョークスリーパーで一本負け。 その打撃技術の高さから、当初はK-1参戦が噂されていた五味だったが、総合格闘技の道を選びPRIDE武士道に参戦した。 2004年2月15日のPRIDE 武士道 -其の弐-で初参戦し、シュートボクセ・アカデミーのジャドソン・コスタにマウントパンチでKO勝ち。その後、それまで総合では無敗だったハウフ・グレイシーに試合開始6秒でKO勝ちするなど、海外選手を相手に6連続1ラウンドでのKOまたは一本勝ちを記録し名実ともにPRIDE軽量級のエースとなった。 2005年9月25日に開催されたPRIDEライト級トーナメントに出場。1回戦で川尻達也と対戦し、1ラウンドに裸絞めで一本勝ち。準決勝ではルイス・アゼレードに僅差の判定勝ち。大晦日の決勝戦では、修斗時代の先輩でもある桜井"マッハ"速人と対戦、1ラウンドにパンチラッシュでKO勝利しPRIDE10連勝を飾るとともにトーナメント優勝を果たした。 2006年3月31日、初代PRIDEライト級王者に認定された。しかし、王者としての初戦となった2006年4月2日のPRIDE 武士道 -其の拾-で、ZST GP王者のマーカス・アウレリオに肩固めで一本負け(ノンタイトル戦であったため、王座の移動は無し)。8月26日のPRIDE 武士道 -其の十二-では、フランスのデビッド・バロンに一本勝ちを収めた。11月5日のPRIDE 武士道 -其の十三-でアウレリオとの再戦がライト級タイトルマッチとして組まれた。試合は両者共に前に踏み出せずに膠着が続いたものの、判定2-1で勝利。王座の防衛に成功した。その後12月31日のPRIDE 男祭り 2006にて、アウレリオを破った石田光洋と対戦することが決まり、試合前から舌戦を繰り広げていたが、結果は五味の1ラウンドKO勝ち。 2007年2月24日、PRIDE.33で王者として初のアメリカ進出。試合前からジョルジュ・サンピエールらUFC王者と戦いたいとコメントをしていたが、五味の希望は叶わず、ニック・ディアスと対戦。1Rにフックでダウンを奪い優位に立ったが、2Rにフットチョークでタップアウト負けとなった。その後、ディアスの薬物使用(マリファナ)が発覚し、ネバダ州アスレチック・コミッションの決定により4月9日付けで無効試合となった[2]。 3月21日、第13回全日本コンバットレスリング選手権の73kg級で優勝を果たした。その後はPRIDEの消滅もあり、2007年は試合はすることは無かった。12月29日にラスベガスで行われたUFC 79に来場したが、最終的に参戦には至らなかった。 2008年1月31日、新団体「戦極」への参戦が発表された。エースとしての扱いを受け、3月5日の旗揚げ戦・戦極 〜第一陣〜でドゥエイン・ラドウィックと対戦。1Rに左フックでダウンを奪い、出血によるドクターストップでTKO勝ち。続く8月24日の戦極 〜第四陣〜ではDEEPライト級王者ハン・スーファンに判定勝利を収めるも、11月1日の戦極 〜第六陣〜では無名のセルゲイ・ゴリアエフに1-2の判定で敗れ、2年半振りの敗戦を喫した。試合後、同大会で五味への挑戦権を賭けたライト級グランプリの優勝を決めた北岡悟との対戦が2009年1月4日に行われることが決定した。 2008年11月30日、全日本コンバットレスリング・オープン選手権73kg級に出場。決勝で永田克彦と対戦し、ポイント1-0で判定勝ちを収め、優勝を果たした。 2009年1月4日、戦極の乱2009の戦極ライト級チャンピオンシップで北岡悟と対戦し、アキレス腱固めで一本負けを喫し、王座獲得に失敗した。 2009年5月10日、5年9か月ぶりに修斗に参戦。中蔵隆志と対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。試合後、リング上で「帰ってきたぜ!」と絶叫した[3]。 2009年8月1日に開催予定であったAffliction: Trilogyでハファエロ・オリベイラと対戦予定であったが、大会が中止となった。 2009年10月30日、10年ぶりの開催となったVALE TUDO JAPAN 09のメインイベントでKOTCライト級王者トニー・ハービーと対戦し、3Rまでは優勢に試合を進めるも4Rから失速し、判定勝ちとなった。試合前には「いい勝ち方をしてリング上で言いたいことがある」と発言していたが[4]、試合後のリング上で「大晦日に魔裟斗選手と…無理だよ。やめる!」と大晦日での引退を公表している魔裟斗との対戦を考えていたものの、納得した勝ち方ができなかったことで尻すぼみの発言となった[5]。 UFC [編集] 2010年1月にUFCと契約したことを発表[6]。UFCデビュー戦となった3月31日のUFC Fight Night: Florian vs. Gomiのメインイベントではケニー・フロリアンにチョークスリーパーで敗れ、黒星デビューとなった[7]。 2010年8月1日、UFC on Versus: Jones vs. Matyushenkoではタイソン・グリフィンに開始1分余りで右フックによるKO勝ちを収め、UFC初勝利を挙げるとともにノックアウト・オブ・ザ・ナイトを獲得した[8][9]。試合後に十八番の駆け上りを金網で実現するも、金網を上ったことを注意された[10]。 2011年1月1日、UFC 125でクレイ・グイダと対戦するも2R終盤にギロチンチョークで一本負けを喫し、UFCでの戦績を1勝2敗とした[11]。 戦績 [編集] アマチュア総合格闘技: アマ修斗 4勝1敗 総合格闘技 [編集] 総合格闘技 戦績 40 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合 32 勝 12 6 14 0 0 1 7 敗 0 5 2 0 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 × クレイ・グイダ 2R 4:27 ギロチンチョーク UFC 125: Resolution 2011年1月1日 ○ タイソン・グリフィン 1R 1:04 KO(右フック) UFC on Versus: Jones vs. Matyushenko 2010年8月1日 × ケニー・フロリアン 3R 2:52 チョークスリーパー UFC Fight Night: Florian vs. Gomi 2010年3月31日 ○ トニー・ハービー 5分5R終了 判定3-0 VALE TUDO JAPAN 09 2009年10月30日 ○ 中蔵隆志 2R 4:42 TKO(パウンド) 修斗 "修斗伝承 ROAD TO 20th ANNIVERSARY FINAL" 2009年5月10日 × 北岡悟 1R 1:41 アキレス腱固め 戦極の乱2009 【戦極ライト級チャンピオンシップ】 2009年1月4日 × セルゲイ・ゴリアエフ 5分3R終了 判定1-2 戦極 〜第六陣〜 2008年11月1日 ○ ハン・スーファン 5分3R終了 判定3-0 戦極 〜第四陣〜 2008年8月24日 ○ ドゥエイン・ラドウィック 1R 2:28 TKO(カット) 戦極 〜第一陣〜 2008年3月5日 - ニック・ディアス 2R 1:46 無効試合 PRIDE.33 "THE SECOND COMING" 2007年2月24日 ○ 石田光洋 1R 1:14 KO(パウンド) PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- 2006年12月31日 ○ マーカス・アウレリオ 2R(10分/5分)終了 判定2-1 PRIDE 武士道 -其の十三- 【PRIDEライト級タイトルマッチ】 2006年11月5日 ○ デビッド・バロン 1R 7:10 チョークスリーパー PRIDE 武士道 -其の十二- 2006年8月26日 × マーカス・アウレリオ 1R 4:34 肩固め PRIDE 武士道 -其の拾- 2006年4月2日 ○ 桜井"マッハ"速人 1R 3:56 KO(右ストレート) PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- 【ライト級GP 決勝】 2005年12月31日 ○ ルイス・アゼレード 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 武士道 -其の九- 【ライト級GP 準決勝】 2005年9月25日 ○ 川尻達也 1R 7:42 チョークスリーパー PRIDE 武士道 -其の九- 【ライト級GP 1回戦】 2005年9月25日 ○ ジーン・シウバ 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 武士道 -其の八- 2005年7月17日 ○ ルイス・アゼレード 1R 3:46 KO(右フック) PRIDE 武士道 -其の七- 2005年5月22日 ○ ジェンス・パルヴァー 1R 6:21 KO(左アッパー) PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- 2004年12月31日 ○ チャールズ・"クレイジー・ホース"・ベネット 1R 5:52 チキンウィングアームロック PRIDE 武士道 -其の伍- 2004年10月14日 ○ ファビオ・メロ 1R 8:07 TKO(パウンド) PRIDE 武士道 -其の四- 2004年7月19日 ○ ハウフ・グレイシー 1R 0:06 TKO(膝蹴り) PRIDE 武士道 -其の参- 2004年5月23日 ○ ジャドソン・コスタ 1R 4:55 TKO(パウンド) PRIDE 武士道 -其の弐- 2004年2月15日 × BJペン 3R 2:35 チョークスリーパー Rumble on the Rock 4 2003年10月10日 × ヨアキム・ハンセン 5分3R終了 判定0-2 修斗 【世界ウェルター級チャンピオンシップ】 2003年8月10日 ○ ニック・アートル 1R 4:59 腕ひしぎ十字固め 修斗 2003年2月23日 ○ 三島☆ド根性ノ助 2R 0:52 TKO(パンチ連打) 修斗 【世界ウェルター級チャンピオンシップ】 2002年12月14日 ○ クリス・ブレナン 5分3R終了 判定3-0 修斗 2002年9月16日 ○ レオナルド・サントス 5分3R終了 判定2-0 修斗 2002年6月29日 ○ 佐藤ルミナ 5分3R終了 判定3-0 修斗 SHOOTO TO THE TOP -THE FINAL ACT- 【世界ウェルター級王座決定戦】 2001年12月16日 ○ 雷暗暴 5分3R終了 判定3-0 修斗 R.E.A.D. 2000年11月12日 ○ ポール・ロドリゲス 5分3R終了 判定3-0 修斗 R.E.A.D. 2000年7月16日 ○ ファンデウソン・パヴァオン 5分3R終了 判定3-0 修斗 R.E.A.D. 2000年4月2日 ○ ジョニー・エドゥアウド 3R 1:43 チョークスリーパー VALE TUDE JAPAN '99 1999年12月11日 ○ 桑原卓也 5分3R終了 判定3-0 IV 修斗 the Renaxis 1999 1999年9月5日 ○ ステファン・パーリング 1R 3:06 チョークスリーパー SuperBrawl 12 1999年6月1日 ○ 桑原卓也 5分3R終了 判定3-0 II 修斗 the Renaxis 1999 1999年3月28日 ○ 高田和道 2R 3:42 TKO(パンチ連打) 修斗 the Renaxis 1999 "Devilock Fighters" 1999年1月15日 ○ 鶴屋浩 5分2R終了 判定3-0 修斗 Las Grandes Viajes 6 1998年11月27日 グラップリング [編集] 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 × シェーン・ローラー 1R 5:30 チョークスリーパー Grapplers Quest at UFC Fan Expo Vegas 2010 2010年5月29日 ○ 宇野薫 5分3R終了 判定59-56 G.C.M The CONTENDERS 6 2001年10月8日 ○ 星野勇二 5分2R終了 判定40-37 G.C.M The CONTENDERS「Millennium-1」 2001年6月10日 × 三宅靖志 5分2R終了 判定27-28 G.C.M.「CONTENDERS II」 1999年10月17日 獲得タイトル [編集] PRIDE GP 2005 ライト級トーナメント優勝(2005年) 初代PRIDEライト級王座(2006年) 第5代修斗ウェルター級世界王座 コンバットレスリング 69kg級 3位(1998年) コンバットレスリング 69kg級 優勝(2001年) コンバットレスリング 74kg級 優勝(2002年) コンバットレスリング 74kg級 優勝(2003年) コンバットレスリング 73kg級 優勝(2007年) 人物 [編集] 火の玉のようなファイトスタイル、破天荒な性格から男性ファンが非常に多く、各界著名人にもファンが多い。 『人志松本のすべらない話』(2009年12月26日放送分)にゲスト出演。千原ジュニア・松本人志が五味の大ファンであり声をかけたとみられる(千原からの指名で雑誌での対談もしている)。千原のマネージャーネタをうけ、自らのマネージャーネタを披露した。 マネージャー(マネジメント全般)は中学からの親友・市川広樹。『Abaddon』でも実名で登場しており、二人の信頼関係がうかがえる。 THE MAD CAPSULE MARKETSの大ファン。トランクスにロゴを入れ、PRIDE時代の入場曲に「SCARY -Delete streamin' freq. from fear side-」を使用していた(2010年8月1日のUFC on Versus: Jones vs. Matyushenkoのタイソン・グリフィン戦から「SCARY -Delete streamin' freq. from fear side-」に戻している)。また、矢沢永吉を崇拝している。 トレーディングカードゲーム「ディメンション・ゼロ」のイメージキャラクターでもあり、本人出演(本人がCM台本を読んだ)のCMもある。 吉祥寺のハーモニカ横丁でよく飲んでいる(本人のブログより) 中学時代は野球部に所属。ピッチャーを務める。 Abaddon [編集] 週刊ヤングマガジンで連載。新宿スワンの著者である和久井健が五味を主人公に描く。和久井が五味の大ファンであることから実現。 2010年3月15日発売号より前半連載開始(8回)。2010年7月23日第1巻(単行本)が発売。 2010年12月6日発売号より後半連載開始。 スカ勝ち [編集] 修斗時代には判定勝利も多かった五味だが、PRIDE武士道ではKO率8割を誇り、しかもその全てが1Rで決着するというストライカーである。五味自身、KO勝利を「スカ勝ち」と呼び非常にこだわっており、2004年12月31日のPRIDE 男祭り 2004では勝利後にリング上で「大晦日に判定?駄目だよ、KOじゃなきゃ!」と発言している[12]。 PR |
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