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【2025/04/28 23:51 】 |
バディ・ロバーツ
バディ・ロバーツ(Buddy "Jack" Roberts、1945年5月16日 - )は、カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身の元プロレスラー。
タッグの名手として知られ、1970年代はハリウッド・ブロンズ、1980年代はファビュラス・フリーバーズなど、プロレス史に残る名タッグチームの一員となって活躍した。
目次 [非表示]
1 来歴
2 獲得タイトル
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
来歴 [編集]

レッド・マクナルティ(後のイワン・コロフ)の紹介により、カルガリーのスタンピード・レスリングでの準備期間を経て、1960年代中盤にモントリオール地区にてデイル・ロバーツ(Dale Roberts)のリングネームでデビュー[1]。
その後アメリカに入り、AWAを経て南部のオクラホマ地区に参戦、ビル・ワットのアイデアで髪を金髪に染めてバディ・ロバーツ(Buddy Roberts)と改名し、1970年にジェリー・ブラウンとハリウッド・ブロンズ(The Hollywood Blondes)を結成[2]。同年5月にダニー・ホッジ&ルーク・ブラウンを破りUSタッグ王座を獲得する。以降、フロリダ、ロサンゼルス、ミッドアトランティック、テネシーなどの激戦区を転戦、各地のタッグタイトルを奪取した[3]。
この間、日本にはハリウッド・ブロンズとして1971年10月に国際プロレスに初来日。残留参戦した11月末開幕のシリーズではラッシャー木村&サンダー杉山のIWA世界タッグ王座に連続挑戦している。1974年1月にも国際を襲撃し、木村&グレート草津の同タッグ王座に再チャレンジした。1975年8月1日にはロサンゼルスに遠征してきたアントニオ猪木&坂口征二の北米タッグ王座に挑戦。この試合はノーコンテストとなり、日本組はタイトルを返上。翌月、雌雄を決するべく新日本プロレスに初参加。9月22日の王座決定戦で坂口&ストロング小林を破ってチャンピオン・チームとなったが、10日後の10月2日に猪木&坂口に奪回された[4]。以降も新日本に度々参戦し、1979年8月の最後の来日では坂口&長州力の新王者チームに挑んでいる。
1978年には単身でテキサス州サンアントニオのSCWに参戦。デイル・バレンタイン(Dale Valentine)をリングネームにジョニー・バレンタインの「弟」を名乗り[1]、タリー・ブランチャードらとタイトルを争った。
1979年にブラウンとのコンビを解消し、1980年よりビル・ワットのMSWAに進出。ここでマイケル・ヘイズとテリー・ゴディのファビュラス・フリーバーズ(The Fabulous Freebirds)と邂逅し、同年6月にはゴディと組んでバック・ロブレイ&ジャンクヤード・ドッグからミッドサウス・タッグ王座を奪取[5]。その後、フリーバーズの3人目のメンバーとなり、若いヘイズとゴディをフォローアップするプレイング・マネージャーの役割を担った。以降、ダラスのWCCW(フリッツ・フォン・エリック主宰)を中心にAWAやUWF(旧MSWA)などの主要団体で活躍し、1984年8月には短期間ながらWWFにも登場。WWF離脱後の10月には全日本プロレスに来日している。
1988年に引退し、フリーバーズも一旦解散。その後1990年、ヘイズとジミー・ガービンによる第2期フリーバーズのマネージャーとしてWCWに登場したことがある。1996年に喉頭癌を患うが克服(WWE.comにヘビースモーカーだった彼の嫌煙メッセージが載せられている)[6]。
現在はシカゴに在住。2009年に入り、息子のバディ・ロバーツ・ジュニアがシカゴのインディー団体WCPWでデビューしている[7]。
獲得タイトル [編集]

新日本プロレス
北米タッグ王座:1回(w / ジェリー・ブラウン)
トライステート / MSWA / UWF
USタッグ王座(トライステート版):3回(w / ジェリー・ブラウン)
ミッドサウス・タッグ王座:1回(w / テリー・ゴディ)
UWF世界TV王座:1回
フロリダ
NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / ジェリー・ブラウン)
ロサンゼルス
NWAアメリカス・タッグ王座:4回(w / ジェリー・ブラウン)
ミッドアトランティック
NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / ジェリー・ブラウン)
テネシー
NWA南部タッグ王座(ミッドアメリカ版):3回(w / ジェリー・ブラウン)
SCW(サンアントニオ)
SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:1回
SCWサウスウエストTV王座:2回
WCCW(ダラス)
NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):5回(w / マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディ)
WCCW TV王座:1回
WCWA世界6人タッグ王座:1回(w / テリー・ゴディ&アイスマン・パーソンズ)
脚注 [編集]

^ a b “Hall of Heroes Class of 2008: Buddy Roberts”. Mid-Atlantic Gateway. 2010年2月22日閲覧。
^ “Missing Hollywood Blond Jerry Brown is found”. SLAM! Wrestling. 2010年2月22日閲覧。
^ “Tag Team Profiles: The Hollywood Blondes”. Online World of Wrestling. 2009年9月1日閲覧。
^ “NWA North American Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月8日閲覧。
^ “Mid-South Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月8日閲覧。
^ “Catching up with Buddy Roberts”. WWE.com: May 16, 2007. 2009年9月1日閲覧。
^ “WCPW Stars”. WCPW.com. 2010年2月22日閲覧。
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【2011/01/05 02:13 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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